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アラブで最も貧しい国(2002年にイエメンを訪れたときの旅行記です)
そもそも、水の国から来た人間には不毛とも映るこの砂漠の高地がなぜ、歴史的に強国の征服対象になったのかわからなかった。考えてみれば、それはアラビア半島がアジアとヨーロッパをつなぐ交易ルート上にあったからだろう。古くはシバの女王の紀元前十数世紀ごろから乳香(オリバナム)や没薬(ミルラ)などの薫香の交易で栄えたのだという。これらは今でもイエメンのスークで麻袋に大量に入れて売られている。 スークで見かけたものは茶色い半透明の樹脂の塊で、そのままではほとんど香りがしないが、火で焚くと少し刺激のある香りを放った。あれはミルラだったのだろう。 乳香が採れる木は、アラビア半島の南岸部と、今はソマリアがあるアフリカの一部の沿岸部でしか生えないため、その一大消費地エジプトからギリシア、ローマでは乳香と金が同じ価値があったのだそうだ。その頃、今イエメンがある南アラビアは、"幸福のアラビア(Arabia Felix)"と呼ばれた。乳香が、6世紀ごろのキリスト教の拡大とともにその価値が下がったのちも、スパイスなどのアジアとヨーロッパとの交易上、陸路、海路ともにイエメンは重要であったに違いない。 |
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(C) Tabinchu Terada |