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アラブで最も貧しい国(2002年にイエメンを訪れたときの旅行記です)
ランクルに乗り換えたところからはまだアスファルトが続いていた。このアスファルトの道から、おやじは、「あれがシハラだ」と言ってフロントガラスの前の方を指差した。その指の先にはたくさんの山々が連なっていた。アスファルトが消えてからは、道は一気に悪くなった。ガタガタ道では山羊や羊を連れて歩く少年たちが車を見つけては駆け寄ってくる。道端の畑では、例の黒いチャドルと薄いベールで顔を完全に隠した女たちが、真っ黒な塊のてっぺんに麦わら帽を載っけた人間とは思えない案山子のようないでたちで農作業をしている。3時間ほど炎天下の埃っぽい砂漠の道を走ると、また、おやじが、「シハラ」とフロントガラスの上の方を指差した。そこにはゴツゴツした岩でできた険しい山がそびえており、その切り立った断崖のてっぺんに四角い建物が見える。この乾いた高地のさらに険しい岩山に集落をつくるとは・・・ さらにまた、この険しい山を登ることは名車ランクルと言えど、大変だった。山頂までの道は、急な崖にコンクリートを使うこともなく大きな石をいくつも積み上げてつくられていて、その傾斜もフロントガラス越しにあの透き通った水色の空が見えるほど急だ。小一時間ほどかけてシハラに着いたときには、丸坊主のランクルのタイヤは尖った石でできた坂道のためパンクしていた。 |
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(C) Tabinchu Terada |