|
||
---|---|---|
アラブで最も貧しい国(2002年にイエメンを訪れたときの旅行記です)
そしてサナア旧市街を何度も散歩し、遠くの視界が効かない入り組んだ路地を方向感覚を失うことなく歩けるようになったころ、サナアの北160キロにある山岳部族の集落、シハラを訪れた。ダッバーブと呼ばれる乗り合いタクシーにぎゅうぎゅうに押し込められ砂漠の道を走ると、いくつかの検問があった。ガイドブックによれば、サナアから離れるときは許可証がいるらしいが、パスポートを見せればそのまま通してくれた。 シハラは1980年代半ばまで外部の人間が入ることを拒んでいたという。そのシハラへの行き方はあまりよくわからなかった。とにかく、ダッバーブ乗り場でシハラとその中継地となるフスの地名を叫ぶと、「これに乗れ」、「ここであのダッバーブに乗り換えろ」と教えてくれた。ベージュの山々に囲まれたねずみ色のアスファルトを延々と強い日射しと乾いた空気の中、ミネラルウォーターをがぶがぶ飲みながら、ダッバーブの窮屈なシートに揺られること2時間、 「あの男に頼め」と言われ、知らないところで降ろされる。 降ろされたところはどうやらフスとは違うらしいがどこかはわからなかった。その髭づらの男は、シハラへは、メシ代・宿代込みで7000リアル(約6千円)だと言う。どうやら、この男はタクシー運転手ではなくシハラの部族のおやじのようだ。この男がここにいたのは単なる偶然なのか、来るか来ないかわからないツーリストを待って毎日いるのかはわからない。おやじは、オンボロの四輪駆動車、ランドクルザーに乗り込むと横にどかっとライフルを無造作に助手席に放り投げた。途中通り過ぎたアラブの喫茶店、チャイ屋でもこの辺りの男たちは、あのアラブ服、ジャンビーヤ、スカーフに背広のジャケットといういでたちで、ライフルをまるでかばんでも持ち歩くように当たり前に、肩からぶら下げていた。 |
||
|
||
(C) Tabinchu Terada |