解説

 わたしたちは、薄暗い彼の家の中に案内されるとチベットのどぶろくのようなお酒チャンや、ラサビールを振舞ってもらいました。そして彼の家の奥の方には現在のチベット法王ダライ・ラマ一四世の写真がばばんと飾ってありました。ダライ・ラマ一四世の写真は中国政府からその所持を禁止されていると聞いていたので少し驚きましたが、その後もチベットを旅しているとちらほらと一四世の写真が目立たないところに飾ってあるのを見かけました。河口慧海がお遭いしたというダライ・ラマ法王は一三世で、現在インドのダラムシャラーに亡命している一四世の先代にあたります。
 そして彼はお酒とともにたくさんの話をしてくれました。とはいえ、互いに十分コミュニケーションできるわけではなく、それは断片的なものでした。そんな中、私たちに「ダライ・ラマ、ダライ・ラマ」と言いながら何かを差し出しました。それは黒っぽい小さな丸薬の粒でした。そのいくつかを彼は自分で飲み、それを私たちにもくれ、「飲め、飲め」と身振りで言うのでした。飲んでみるとそれは懐かしい味がしました。その味は、初め少しほろ苦く、そのあとでなにか清涼感が口の中に広がるものでした。私が、
「なんか仁丹みたいだ。」
と日本語で言いました。私が小さい頃は、仁丹という阿仙薬や桂皮(シナモン)などの生薬でできた口中清涼剤の丸薬が多くの家にあったのでした。すると、彼は
「そうだ、それはジンタンだ!」
と答えました。そして彼は、ジンタンについて英語と身振り手振りで説明し始めました。その身振り手振りは、

銃を向けられる(ガン、ガンと繰り返す)、
ジンタン飲む(丸薬を飲み込む素振りをする)、
手を合わせて眠る(このときダライ・ラマとつぶやく)

でした。それを見た私たちの解釈はこうでした。

殺されそうになったとき、
ジンタンを飲むと、
楽に死ねる・・・

 私たち日本人二人は顔を見合わせて、
「まさかこれは安楽死の毒薬!?」
という不安な表情を浮かべました。もちろんチベット人の彼も一緒に飲んだその丸薬は毒薬ではありませんでした。このジンタンがいかなるものなのかがわかったのは、この旅をさらに続けダライ・ラマ一四世が亡命しているインドのダルムシャラーにあったEmi Emi Cafeというレストランに入り、そこに置かれていたチベット亡命者の証言がつづられた本(Movement of Tibet, Ex-political prisoners' Association)を手にとって読んだときでした。そこの記述によれば、それは「本当に死が近くなったときに飲めば一瞬にしてダライ・ラマの慈悲の力に満たされて浄土に生まれ変わると信じられている」ものだったようです。

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