解説

 まだチベットに鉄道が敷かれる以前に、中国青海省のゴルムドから海抜一万三千尺(四〇〇〇メートル)を超える高地を走るオンボロ二階建て寝台バスに乗ってチベットを訪れたことがあります。それは世界一周の旅の途上でした。そのバスは、少なからぬ乗客を高山病に引きずりこみ三六時間かけてラサに辿り着きました。ところがその当時でも、大きな通りを歩いてみると目立つのは中国語の看板ばかりで、食堂も外国人向けのレストランか中華料理屋が目に付きました。
 幾多の峠を越えラサに辿り着いたのにチベットに来たという実感が湧かない、そう思いながら歩いていると、ラサのジョカン寺にほど近いところにインド式のミルク煮出し紅茶、チャイを出す茶屋がありました。そこはどこか外の店とは明らかに雰囲気が違うのでした。店内の端から端まで天井からぶら下げられたエンジと薄い緑の布、入口正面に飾られた大きなチベット仏教の高僧らしき写真、まるで酒場のように細長い木の机を挟んでグラスに注がれたチャイを浅黒い男たちが話をしながら酌み交わしています。男たちの中にはひさしが短く山高のチベット帽を被った人もいました。そのざわざわした雰囲気の中の話声が、今まで中国で聞いていた音感と違うのです。どうやらこの店はチベット人だけが集まる店のようでした。
 そこで隣に座っていたチベット帽の男が声をかけてきました。彼はインドに行ったことがあるらしく少しばかり英語が話せるのでした。彼とはその夜、道でばったり再会することとなりました。すると酒に酔っていた彼は私ともう一人の旅人とを家に招いてくれたのです。大通りを歩く道すがら彼は、「これはチャイニーズの店だ、これもそうだ、これはチャイニーズの家だ」と憎々しげに言って説明していました。そして大通りを抜け裏通りに入ると途端に街灯はほとんどなくなり日干し煉瓦造りのような古そうな家並みになりました。どうやら大通り沿いの商用地には中国人の商店が並び、チベット人たちは裏通りの薄暗い一角の粗末な家に追いやられているように見えました。

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