曠原を盲進

 「これから引き還してキャンチュを渡って向うの方に行けばまたアルチュ・ラマの居った方向に出られるに違いない。あの人は余り他の遊牧民のごとくに諸所方々に行かない。僅かにあの辺で位置を変じて居るだけだということを聞いたから大方あの辺に居るかも知れない。どうか今夜はテントのある辺まで着きたいもんだ、毎晩毎晩雪の中ばかりに寝て居るともはや死ぬより外に道がないから、遅くなっても充分に進みたい」
と慧海は考えました。そして腹の減るのを無理押しに押して進みましたが、雪の光の反射のために慧海はいわゆる依雪(いせつ)眼病を煩いました。その痛さは、今にも眼が潰れてしまうくらいで、そのままじっとしていることが出来ないほどでした。外には雪が非常に積っている上にまた夜分になって雪が降り出していました。非常な寒気と痛さで身体中は冷汗を流しており、いかにも苦しくって堪(たま)らなく、仏の教えを思い起こすことも出来ませんでした。また横に倒れて見たところで頭に雪が喰い付くというような訳でなお痛さが増して来る。その辺の雪を手に取って眼に当てて見たりしてもなかなか痛さが止まりません。そうしている中に自分の身体もだんだん凍えて痺(しび)れて来たものですから眼を塞いだまま無闇に身体に丁(ちよう)子(じ)油(ゆ)を塗り付けました。眼は塞いだけれども寝るにも寝られずそのままなんとか仏法を念じて夜はそこで眠りました。
 次の日そこにじっと坐って居っても仕方がないから朝早く出掛けようと思いましたがもう雪は歇(や)んで日が照っている。その雪に輝く光線が私の眼にキラキラ反射しますので一層眼が痛みました。
 眼を閉(つぶ)って進んでみましたがどうにも進むことができません。ですので少し眼を開いて進んで行くとますます眼が痛み出して今にも潰れるような痛さでした。自分の身体も我れ知らず引繰(ひつくり)返って雪の中であろうが草の中であろうが一向構わずに倒れ込んでしまうほどです。そればかりでなく三、四日前から少しも食物を喰わずにいるものですから身体が非常に苦しいのでした。ひょろひょろしてちょうど酒飲(さけのみ)が大変飲み過してじきに倒れてしまうごとくにちょっとした雪の中の小石に躓(つまず)いても倒れてしまいます。けれども怪我はしません。その辺には雪がありかつ自分の身体はごく軽くなっていますからなんともないのでした。腹は減る、眼は痛む、足はひょろつく、という始末で進退全く谷(きわま)って、気が付くと雪の中へ座(すわ)り込んでいまいた。
「こりゃ死ぬより外に道がないのだろう」
慧海はそう思いました。けれども自分の精神はしっかりとしており、この雪の中で死んで行くかと思われるような気持ちは少しもありませんでした。ですので、この身体の苦痛さえどうにかなれば充分進める筈であると思いましたが仕方がありません。すると気のせいか、遙か向うに乗馬者が見えました。それから痛い眼をよく引き開けて見違いではあるまいかと思ってよく見ますと全く一人の男子が馬に乗ってやって来るのでした。慧海は立ち上ってその人を手真似で招きました。声を立てようとしたところがちっとも声が出ないのです。余程無理をして辛うじて二声ばかり声を発し、手をもって仕方をして呼び止めますと向うでもそれを認めたと見えて慧海の方へ馬を走らして来ました。
「この雪の中でどうしたのか」
と聞きますますから、
「いや実は泥棒に遇ってすっかり何もかも失くなってしまった。その上に残って居った少しの荷物も途中で失ってしまい三、四日何も喰わずに居るのだが何か食物を下さるまいか」とやっとの思いで声を出しました。それは若い男でした。
「どうも私は今麦焦しも何も持って居ないけれども一つこういう物があるから」
といって懐から出してくれたのが、牛乳を煮(に)て冷(さま)して置くと薄く上へ張って来るクリーム、それを集めてその中に黒砂糖を入れたものでした。それはこのチベットのチャンタンにおいては最上の菓子として人に贈りあるいは珍来の客にすすめるものでした。それを慧海にくれたのです。
 それから慧海は早速其菓(それ)をうまいとも何とも分らずに喰ってしまいそれからその若い男に
「どこかこの辺に私の泊る所があるまいか、食物も欲しいから」
と言いました。ところが、
「いや私もやはり巡礼者だがあの山の際(きわ)に私共の父、母及びその同伴(つれ)の者が沢山居るからあそこへお越しなさい。どうにかなりましょう。私は急ぎますから先へ帰ります」
といって馬を駆(か)ってその山の方向に去ってしまいました。慧海は幾度か倒れたりあるいは眼が痛いので休息をして見たり、また腹がすいて喉が乾くので雪を喰ったりしながらようやくそこへ着きました。すると早速その少年が迎えに来ましてテントの内へ案内してくれました。
 で、まあ可哀そうにという訳で向うに拵えてあったところの米の御飯にバターの煮たのを掛けて、その上に砂糖と乾葡(ぶ)萄(どう)とを載せたチベットでは最上等の御馳走を慧海にくれました。それは実に有難(ありがた)いものでした。その夜は眼の痛みで寝られません。けれども薬はなし外にどうもして見ようがない。ただ雪を切布(きれ)に包んで眼に当ててみたものの、その痛みが劇(はげ)しいのでそせっかく良い寝床を得たに拘(かか)わらずやはり寝られませんでした。

 ところがその翌日彼らは巡礼者ですので出立します。慧海も同じく出立しなければなりません。慧海がテントを片付けている一番外れの四、五軒目位の所へと歩いていたところ、例の七、八疋の猛犬が吠立(ほえた)てながら慧海のまわりをぐるりと取り巻れました。猛犬に取り巻かれたけれども慧海は眼が痛いものですからどうも常のように犬をよく扱(あしら)うことが出来ませんでした。痛みの劇しさに不意に眼を塞(ふさ)いだ拍子に一疋の犬が後からやって来て足に噛み付いたのでした。慧海はそのまま倒れてしまいましたが、少し声を立てて救いを求めたところ、テントを片付けて居った人たちが慌(あわ)てて遣って来て、犬に石を打(ぶ)っ付けて追い飛ばしたので犬はことごとく去ってしまいましたが、足を見ますとどしどしと新しい血が出て来ておりました。

 噛まれた疵(きず)の痛みで慧海は少しも立つことができませんでした。けれどもじっとそこに座り込んでいる訳にいきませんからその人たちに、
「この辺にアルチュ・ラマが居る筈だが居られないか」
といって尋ねました。すると、
「あなたはアルチュ・ラマを知って居るか」
といいますから、よく知って居ると答えると、その中の一人が
「それなら私の犬が噛んだのだからアルチュ・ラマの居る所まで私の馬で送って上げよう、あのラマはお医者様であるから充分に疵を治しあなたの眼病も癒(なお)すことが出来ましょう。だからまずあそこへお越しになるのが一番得策である」
といって親切に馬を貸してくれました。
 そして馬に乗ってテントの二つ張ってある所まで行き、眼を開いて向うの方を見ますと、アルチュ・ラマのテントよりははるかに小さいテントがありました。どうもこれは奇態だと思って馬から下(お)りてそこへ行って尋ねますとこれはアルチュ・ラマのテントではなく、その奥さんの親の家だといいます。
「アルチュ・ラマの家へぜひ遣(や)って貰いたい」
と頼みますと、ちょうどその奥さんが親の家に来て居りまして慧海の声を聞き、あれはこの間雪峰チーセへ指して参詣に行かれた尊いラマであるといって見に来ました。
 それから慧海が逢って
「あなたのラマはどこに居られるか」
と尋ねると、
「これから一里ばかり東の方の原に居る。」
「私はそこへ行きたいが今日誰かに案内をして貰えまいか。」
「私はもうあんな所に行かないんだから案内者は付けられませんが、あなたがお越しになるならば私はこの馬を牽(ひ)いて来た人に吩咐(いいつけ)けますから、この馬方と一緒に行かれるがよかろう」
という話になりました。
「なぜあなたは自分の家にお帰りにならんですか」
と慧海が尋ねますと、
「あんな悪い人はないから私は暇を取ってやるつもりです」
と言います。すると慧海は
「それはいけません」
と言った後、いろいろの事を聞いたり話したりして、それから一里ばかりあるラマの家に着きました。

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