チベット泥棒の規則

 一体チベットの盗人に遇った時はちゃんと規則があるのでした。その事を前に慧海は聞いていました。何でも盗人に逢うた時はすっかり向うの欲しがる物をみな遣ってしまって、そうしてお経を申してどうか食物だけくれろというと向うから三日分位はくれるというから、そういう手続きにやろうと思って
「私の懐(ふところ)にある物の中に釈迦牟尼仏の舎(しや)利(り)を蔵めてある銀の塔がある。それはかつてインドのダンマパーラ居士がチベットの法王に上げてくれろと言って言伝(ことづか)って参ったものであるからこれだけは取らんでくれ」
というと
「それを俺に遣(よこ)さないか。」
「いやそれを持って行くのはよいがこれを持って行った分にはお前が難儀な目に遇うであろう。なぜならばこの舎利様は普通俗人が持った分にはよくお護(もり)をすることが出来ないからどうせお前らに善い事はありゃあしない、しかし欲しければ上げる」
と早速出して「まあ一遍開けて見るがよい」と言って渡しますと、その遣り方は思いの外(ほか)に出たと見えて彼らはそれを受け取らずに
「そんな有難いものならば私(わし)の頭へ指して戴かしてくれろ、でその有難い功(く)徳(どく)を授けてくれろ」
といいますから、其男(それ)の頭へ載せてやってそうして三帰五戒(さんきごかい)を授けて悪業(あくごう)の消滅するように願を掛けてやりました。

「センギェー ラ キャプスーチォ」
「チュー ラ キャプスーチォ」
「ゲンドゥン ラ キャプスーチォ」

 それから今度立ち上って「二、三日の喰物をくれろ」といおうとすると遙(はる)かの向うの山辺からまた二人の乗馬者が現われて来ました。それを慧海が認めると同時にその強盗らも認めたと見え、両人は立ち上って受け取った物だけ引(ひ)っ攫(さら)いある方向へ逃げ去ってしまいました。彼らが山を走ることは恰(あたか)も兎の走るがごとくで慧海が追いかけたところで、埓(らち)の明(あ)く訳でもありません。また追いかけようという考えもありませんでした。そこでかの現われて来た乗馬者を呼び止めて彼らから幾分の食物を貰ってこの二、三日を安全に進もうと思ったところが、乗馬者はどういう都合かこっちの方には進まずまた向うの山の間へ上って行ってしまいました。そして慧海には食べるものがなくなってしまいました。
 その夜は山の間に露宿してさてその翌日は東北の方向を取ればある駅場(えきば)に出られる訳ですが、何(なに)分(ぶん)にも磁石がないから方角が分らないので、慧海は道を間違えてしまいました。

 荷物は盗人に取られて大いに軽くなっていますから重荷を荷うという苦しみはないけれども、腹が減った苦しみには堪えられませんでした。仕方がないからまた雪を喰い喰い進みましたがその甲斐もなくそこには誰も居ないという始末で慧海は実に失望しました。

 けれど先に通ったナールエという遊牧民の泊って居た所の山の形によく似ていることに慧海は気付きました。だんだんに進んで行くとなるほど先に見覚えあるキャンチュという大きな川もその端にありました。

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