女巡礼の恋慕

 もし彼らの毒(どく)手(しゆ)から免れる事が出来たならば実に彼らの兄弟喧嘩で慧海が拳骨一つ喰ったのが誠に好い仕合せであると慧海は思いました。幸いにその夜はある山の端(は)に着き、また例の雪が疎(まば)らに積っている草の原に宿りました。これまではテントの中に寝ていましたのに急に雪の原に宿ったものですから寒気に侵されて一睡もすることが出来ませんでした。その翌日雪の原を東南に進んで、ニョクチェという所のシャ・チェン・カンバという小さな寺に着きました。で、その翌日はその寺へ逗留して履の修復や衣服の綴(つづく)りしました。その寺には僧侶が二名ばかりいますから此寺(ここ)まで殺しに追って来る気遣いもなかろうという考えで緩(ゆつく)りしていました。すると彼らから買った一疋の羊が死んでしまいました。誠に可哀そうに感じて相当の回向(えこう)もしてやりました。それから他の一疋ではどうしても進みませんから、その一疋を他の人に半額で売りまして死んだ羊の死骸は人にやりました。慧海が羊を売った人はトクチェンの駅場へ羊毛の税品を納(おさ)めに行った人だそうで、ちょうど四名ばかり其寺(そこ)へ泊り合わせたその人らに死んだ羊の肉を遣りました。すると、大いに悦んで「あなたこれからどちらの方へ行かれるか」と尋(たず)ねますから、「私はホルトショの方へ行くつもりだ」といいますと、「それじゃあ私共もちょうどその方向に進んで行くんだからあなたの荷物を持って行って上げましょう」と言ってくれました。

 彼らはヤクを沢山連れているものですからそのヤクに慧海の荷物のすべてを載せてくれました。それからその寺を出まして東南に進んで行きました。この頃、慧海はほとんど一日に十里位ずつ歩んでおりました。もし慧海がヤクの助けを得なかったならばこの空気の稀薄な高原地をこんなに沢山歩むことはとても出来なかったはずです。夜は例のごとく寒くて寝られませんでした。その翌日また東南に向って、その人たちと共に十里ばかり進んでいきますと、前に渡ったブラマプトラ川に出ました。そのブラマプトラ川ももはや非常に減水していましたから渡るに造作はありませんでした。水が浅いのでヤクに乗って渡して貰いました。するとその川端にその人たちのテントがあって、そこへ宿ることにしました。随分疲れも酷かったのですが慧海が夜分テントの外に出て見ますと、月はありませんでしたが碧空(あおぞら)にはキラキラと無数の星が輝いていて、その星が水面に映じ川はその星を流していたのです。遙かの彼方を眺めますとヒマラヤの雪峰が朧(おぼろ)に聳(そび)えていました。その朧気な夜景は真に森厳にして侵すべからざる威風を備えているのでした。
 その翌日その人らは外の方向へ出掛けるので、慧海はその人らと別れて一人でまた重い荷を背負ってだんだん川に沿って東南に進んで二里ばかり歩きますといかにもその荷物が重くなって来ました。これまで大分に楽をして居ったものですから非常に重さが厳(きつ)かったのです。暫く進んではまた暫く休むという始末で遂には進めなくなってしまいました。

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