女巡礼の恋慕

 しかしその日は何事もありませんでした。その翌日二里ばかり向うへ行ってまたある山の端へ着きましてずっと向うの方を見ますと何か建物のあるような所が見えました。そこで「あそこは何か」といって尋ねますと「トクチェン・ターサム(駅場)である」と言います。慧海はそこへ乞食に行きそれを済まして帰って来ますとただダアワが一人残って居て他の者はいませんでした。「どこへ行ったか」と聞きますと「皆遊猟に行って誰も居らぬ」といいます。そこで慧海は悟(さと)りました。「ははあこれでいよいよ今晩料理されるか知らん。」
 なんにしても危急の場合に迫ったという気がしました。しかし「この娘もやはり何かの縁があってこういう事になったんであろうから充分に仏教のありがたい事を説き付けてやろう。この娘が私に対し穢(けがら)わしい思いを起したのは実に過ちであるということを悟らすまで懇々と説き勧めてやろう」という決心をして座り込みました。ところがその娘は朝から例の水(みず)蕈(きのこ)を取り集め、あなたが非常に蕈がおすきだからといって親切らしくそれをくれたのです。そこで例の麦焦しの粉とその蕈(きのこ)を喰いましていよいよ法華経を読みに掛ると、娘はそれを差し止めて、
「是非あなたにいわねばならん酷(ひど)い事を聞きましたから申します。でなければあなたに対してお気の毒だから……」
と言いました。その事はもうよく慧海に知れているのですけれどもなんにも知らん振りして聞きますと、やはり前に慧海が聞いて居った通りの事を言ったのでした。
 そこで慧海は
「それは結構な事だ、お前と一緒にならずにお前たちの親の兄弟に殺されるというのは実に結構な事である。もはや雪峰チーセも巡りこの世の本望は遂げたから死は決して厭(いと)うところでない。むしろ結構な事である。で私は極楽浄土のかなたからお前たちが安楽に暮せるように護ってやる。是非今夜一つ殺して貰おう」
とこういって向うへ言い返してやりました。すると大変にびっくりして娘はいろいろと言訳をしました。けれどもだんだん慧海に迫って来て、「あなた死んでは詰らんじゃないか」とかなんとかいろいろな事をいい出しました。けれども、慧海はすべて鋭き正法を守る底(てい)の論法をもって厳格に打ち破ってしまいました。で四時頃になりますと遊猟に行った先生たちは四人(よつたり)とも帰って来たのです。帰るや否やその三人兄弟の中の一番悪い弟がダアワに対して、「こいつめ男の端に喰い付いていろいろな事をいってやがる」という小言を一つくれたのです。それはテントの外から慧海たちの話を聞いて居て来たのでした。するとその娘の親が「何だ」とその弟に喰って掛り、「貴様の娘じゃなし貴様に麦焦しの粉一ぱい喰わして貰うという訳じゃあなし、俺の娘がどうしたからといって貴様の世話にはならない」といってここに兄弟喧嘩が始まったのでした。


 兄弟喧嘩がだんだん盛んになって、「やあおのれは泥棒でどこそこで人を殺した」の、「おのれはチベット政府の金を盗む企てをしてそれがばれたものだから逃げ出した」のと、有った事か無い事か罵(ば)詈(り)讒(ざん)謗(ぼう)を始めたのは未(ま)だしも、仕(し)舞(まい)には弟が非常に怒って兄をぶん撲(なぐ)る。大きな石を投げ付けるという始(し)末(まつ)でした。慧海も見てられないので飛んで出て弟を押えようとすると慧海の横面を非常な拳(げん)骨(こつ)でぶん撲りました。それがために慧海は倒れてしまいました。その痛さ加減というものは実に全身に浸(し)み渡ったほどです。そうすると娘が泣き出す。女房が泣き出す。一人の男がそれを押えるという始末で実に落(らつ)花(か)狼(ろう)藉(ぜき)という有様になりました。慧海もどうしようもないのでした。倒れたまま酷い目に遇ったとばかりで寝転んでおりました。するとだんだん夜にもなって来ますし、おいおい喧嘩も下火になりましてその晩はそのまま過しましたが翌日から

 ひとりひとり思い思いに行くといい出し、そこで一番の兄は女房と一緒に、娘は親と一緒に、弟は一人、慧海も一人で行くことになりました。忽(たちま)ち困難を感じたのは荷物を持って行く羊がないことでした。そこで慧海は一疋六タンガー(一円五十銭)ずつ出して羊を二疋買いました。それからその人たちと別れて東南の方へ向けて歩きました。その人たちは北の方に行くのも、また後へ引き返す者もありました。予(かね)て慧海は道は東南に取らずにずっと東へ取れということを聞いておりました。けれどもその人らの中で慧海を追って殺しに来る者があるかも知れないという考えがあったので東南の山中に進むことにしました。

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