天然の曼荼羅カイラス山

 その翌日、五人連れの巡礼も志す方向に進むというので、連れ立って慧海は進むことにしました。遙かに西北の空を眺めますと大きな雪峰が聳(そび)えていました。その峰が即ちチベット語のカン・リンボチェで、インドではカイラス山といいます。昔の名はカン・チーセといっておりました。その雪峰は世界の霊場といわれるほどあってヒマラヤ雪山中の粋を萃(あつ)め、全く天然の曼陀羅を成しているのです。その霊場の方向に対してまず慧海は自分の罪業を懺(ざん)悔(げ)し百八遍の礼拝を行い、それからかねて自分が作って置きました二十六の誓願文を読んで誓いを立てました。「こういう結構な霊場に向って自分が誓いを立て得られるというのは何たる仕合せであろうか」と慧海は感じました。

 ところが前夜慧海が泊りました同行の人たちは、「お前はなぜそんなに礼拝をしてシナ文字を読み立てたか」と聞いてきましたのでその意味の一(いつ)斑(ぱん)を説き明してやりました。すると大変に感心して、「シナの坊さんというものはそんなに道徳心即ち菩(ぼ)提(だい)心の篤(あつ)いものであるか」と大いに悦んで随喜の涙に咽(むせ)びました。で、その夜はどうか説教をしてくれろといいますから、慧海はその人たちに誠に分り易く説いてあげました。するとその人たちは大いに悦んで、
「こういうお方と一緒になったのはありがたい、カイラス山を巡るこの二月ほどの間は、一緒にお給仕を申し上げたいものである。そうすれば我々の罪(ざい)障(しよう)も消えるから」
と彼らは互いに物語るようになりました。「まずこれで安心。どうも仏法というものはありがたいものだ。人を殺すことを大根を切るように思うて居る人間が仏法のありがたさに感じて共に苦(く)行(ぎよう)をしたいというのは誠に結構な事である」と、慧海も彼らが涙を溢(こぼ)すと共に喜びの涙を溢しました。


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