漠野(ばくや)独行の難

 それからその羊の荷物をもう一度整理してだんだんと西北の山の方に進んで行きました。けれどもその辺は余程広い山間(やまあい)の原野で二里半ばかり歩きますと今度は平地を降ることになってずんずん半里ばかり降りました。

 するとそこに一筋の道がありました。「こりゃ奇態だ」と思ってよく前に聞いてある話を思い出しますとそれはマナサルワ湖へ指して行くチベット本道からの廻り路であるということに気がついたのでした。「こりゃうまいものだ。これから人に逢うことが出来るであろう」と思ってだんだん進んでいきますと大きなる川の端に一つの黒いテントがありました。早速そこへ向って歩きまして「私はこういう者であるから一夜の宿りを乞います」といって頼みますと誠に快く泊めてくれました。その人たちもやはり巡礼者であって伴の人が五人、その中女が二人で男子が三人、その男子は皆兄弟で一人の女は兄の嫁、一人は娘、で慧海は安心しました。こういう女連れのある巡礼者は大抵人を殺さぬ者であるということを慧海は聞いていましたので「まず大丈夫」と思いました。
 けれどもその人たちは強盗本場の国から出て来たのです。その本場というのはどこかというとカムの近所でダム・ギャショの人であるということを聞きましたから少し懸念も生じました。何故かというと、その辺には

 人殺さねば食を得ず、寺廻らねば罪消えず。人殺しつつ寺廻りつつ、人殺しつつ寺廻りつつ、進め進め

という諺があるのです。そういう諺がある国の人でなかなか女だって人を殺すこと位は羊を斬るよりも平気にしている位の気風でありますから慧海には容易に油断は出来ないのでした。けれどももうそこに着いた以上は虎(こ)口(こう)に入ったようなものですから「逃げ出そうたって到底駄目だ。殺されるようなら安心してその巡礼の刀の錆(さび)になってしまうより外はない」と決心して泊りました。巡礼の刀の錆になると決心したもののしかしそのままそこに寝る訳にいかない。いろいろその巡礼と寺のありがたい事など語りました。ともかくその晩はゆっくり寝ることにしました。

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