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西蔵法師 −原作 河口慧海のチベット旅行記−
漠野(ばくや)独行の難雪の中で凍え死するような目に遇ったあとにヤクの群れを見つけ、ヤク追いに尋ねると四つばかりテントがある方向を教えてくれました。実に地獄で仏に逢ったような心持で慧海はその教えられた方向に進んで行きました。すると教えてもらったとおり、テントがありました。例のごとく恐ろしい犬に迎えられて、あるテントに着いて説明し、「どうか今晩泊めてくれろ」と願いました。 ところがそのテントの主人(あるじ)はどう思ったものかいかに願ってみても泊めてくれないのでした。いくら頼んでも泊めてくれないからまた犬と戦いながら他のテントに行って頼みました。ところがこれもやっぱり泊めてくれないのでした。それからもう一軒の所に行って一生懸命に頼みました。 「私はこういう訳でもう七、八日人に逢わんで実に困って居るからどうか救うて下さい」といって事情を明かしました。けれども、手を合せて拝まぬばかりに頼めば頼むほど情(すげ)なく出られて慧海は困り切ってしまいました。 「どうかテントの隅でもよい、外へ寝ると今夜この雪のために凍えて死んでしまうから命を助けると思って泊めてくれないか」 と頼んだけれども、なかなか肯(き)いてくれないばかりか遂には 「お前はおれの家へ泥棒に入る気か」 といわれてしまいました。もうその一言で頼むことも出来ず仕方がないものですからまた外の方に出ましたが慧海には実に泣きたくなるほど辛く感じました。もう一軒テントの張ってある所があるけれどもがっかりしてそこへ頼みに行く勇気もなく茫然と雪の中に立っていると羊も悲しそうに鳴いています。可哀そうになったので四軒目のテントへ行って頼みましたところが、そこの主は慧海の姿を一見するや 「お入りなさい」 といって誠に快く入れてくれました。どうもこの一群の遊牧民は実に無情極まる人間だと思いましたが、案外にも情け深い人に出逢ったものですから大いに悦んで早速幕内へ指して羊の荷物を卸し羊は羊で繋(つな)ぐ場所に繋いでその夜はそこへ泊りました。身体は非常に疲労して履(くつ)も非常に傷んでいますけれども暖かな火の端(はた)ですから真にこういう状が極楽であるというような感じがしました。その翌日は身体を休めるために主に願って逗留しました。で慧海はかねて仏教上どうか一切衆(しゆ)生(じよう)のために尽(つく)し得られるだけの事を尽したいという二十六の誓願があってそれを書くことにしました。こういう自分の熱心な事を書いている時には足の痛みも身体の疲れも忘れてしまうからこれが真に苦痛を免れる良い方法になったのでした。つまり慧海がやった誓願は人の苦痛をも免れしむる良い方法になるであろうと予期して慧海は歓喜したのでした。 |
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(C) Tabinchu Terada |