高原の美女とラマ

 次に、ある池の端でテントの四つある所へ行き、そこである家に宿りました。それから一日ほどの所にブラマプトラという大河の源(げん)流(りゆう)である、チベット語のタムチョク・カンバブという川に着くことになります。その川はチベット唯一の非常な大河でありますから案内者を頼みましたが幾ら金を遣るからと言っても誰も行ってくれないのでした。それからいろいろ珍しい物や何かを遣ったりして頼みましたが、誰も行こうという者が一人もいませんでした。

 ところがその近所に病気で困っているお婆さんがありました。その病人が出て来て「どうか薬を下さい、大変悪いようです、いつ頃死ぬのか診て貰いたい」といいます。様子を見ると随分危ない病気で、肺病のようであったから慧海の手に負える訳でもなかったのですけれども、かねて肺病の容体など知っていたので逐(ちく)一(いち)摂生法を言い聞かせてあげました。それから薬を遣らないと安心しないから慧海はとりあえず薬をあげました。すると大いに悦んで、「何をお礼したらよいか、こんな尊(たつと)いお方からこういうように結構な目に遇(あ)うということは願うてもない幸いだから何かお礼したい。どうかあなたの方からおっしゃって貰いたい」といいますから、「それならどうか人二(ふた)人(り)ばかりと馬三疋ばかり世話して貰えぬだろうか。ここに馬も五、六疋居る様子だから明日川端まで送って貰ってこの荷物を向うまで運んで貰えまいか、川の中は羊では荷物を渡すことは出来ぬというから是非そうやって貰えまいか」というと、「ようございますとも私がその事を計らいます」と言ってすっかり引き受けてくれました。
 こうして次の日大河を渡り終った所で、その世話をしてくれた二人は荷物を卸(おろ)しました。慧海はその人々に礼物としてチベット流のカタというものを遣りました。これは白い薄(うす)絹(ぎぬ)です。人に進物をする時分には物にその薄絹を添えて遣るのが礼です。もっともカタばかり贈って礼意を表することもあるからそれを一つずつ男たちに遣りました。するとその男たちの言うには、
「これから西北の山と山との間を通って行くと、マナサルワ湖の方へ出てカイラス山に達することが出来る。しかしこれから多分十五、六日間は人に逢うことは出来ますまいから充分ご用心なすって、雪の中の豹(ひよう)に喰われないようにお経でもお読みになってお越しになるがよかろう。私共はここで帰らないとまた遅くなるから」
と言って別れを告げて帰っていきました。

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