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西蔵法師 −原作 河口慧海のチベット旅行記−
深山老婆の親切窟屋を訪れた日にはゲロン・リンボチェ比丘尊者には会えませんでした。その日、此窟(ここ)に泊まっていた坊さんにいろいろ話を聞きますと 「これからカイラス山の方に出掛けるのはよほど困難だ。まず二、三日行けば人の居る所に着いてそれからまた二、三日間は人の居る所を通るが、そこから向うは十五、六日無人の地を行かにゃあならんがあなた道を知って居るか。」 「いや少しも道を知らない。」 「それじゃあとても行かれまい。それにまああなたの着物はよし大分荷物も持って居るようだから泥棒が付きますぞ。」 「泥棒が付いたら遣りさえすればいいが何しろ道が分らんでは閉口する。誰か案内者を見付けることが出来まいか」 といって尋ねました。すると 「どうしてこの辺は最も人の少ない所ですからなかなか案内などする者はありませぬ。あなたはまああの有難やのお婆さんに出遇うたから大変な厚遇を受けてここに来られたが、これから一人で人の居る所に行ったところが誰だって留めてくれやしません。殊に人の居らぬ所が多いから到底無事に行かれはしない。この通り御(ご)覧(らん)なさい。これから幾里の間どこにもテントの張ってある所は見えない位だから、とても案内者を見付けて上げることは出来ません」 といいます。どうしても行きたいというならと、その坊さんはその道を慧海に説明してくれました。 その後、慧海はゲロン・リンボチェ比丘尊者といろいろ問答をしました。その問答というのは、シナや日本風の仏法とチベット風の仏法との大喧嘩でした。けれども大喧嘩をこの尊者も大いに悦んだのでした。そして出立のとき、尊者は麦焦しの粉とバターと乾葡萄を沢山慧海にくれました。それは十貫匁余もの荷物になしました。その重い荷物を漸(ようよ)うの事で背負い出立しました。 |
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(C) Tabinchu Terada |