ヒマラヤ山村滞在

 長くツァーランに住んでいた慧海は、村人にチベット行きを疑われないためにひとまず跡戻(あともど)りをしてそれから村人らに気付かれぬように、またチベット兵士の守って居らぬ所へ出て行く道を調べました。そして、ドーラギリー雪峰の山北を横ぎってトルボへ出てから道のない山の間を三日路ばかり辿(たど)って行くと、遊牧民の来ている西北原に出られる道筋があると聞きました。仮(よ)し遊牧民が来ていなくともそれから一日か一日半行くとゲロン・リンボチェ比丘尊者のいる所に出られるというような話を聞きました。

 このツァーラン村から南の方向のツクジェ村の近所にマルバという所がありました。そこで着類あるいは食物、飲物等すべてを調(ととの)えると、それは九貫匁ばかりの荷物となりました。その荷物を案内者に持たし慧海は経文だけ背負ってこのマルバ山村を出立しました。三日ほど進みますと、千(せん)仞(じん)の谷間を望みながら崖道の恐ろしい牟伽羅坂(ムカラざか)という坂を登ることになりました。その坂の左側には高雪峰が剣を列べたように聳えておりました。それからその山の頂(いただ)きから直下してほとんど道のない岩と岩との間を猿が樹渡りするような具合に辿って行くのでした。山に慣れている荷持は重い荷を背負いながらヒョイヒョイとうまく飛んで行くばかりでなく、うまく飛べない慧海に、こうしてああしてといろいろ指図をしてくれました。また慧海の持っている杖を岩と岩との間に突き立て転び落ちようとするのを防いだり、まるで杖を船頭が櫂(かい)を使うような具合に自在に使う、あるいはヒョイと雪車に載せられて千仞の谷底に落ちようとする場合にはうまく岩の端へ杖を突き立てて防いだりしてくれました。
 やがてサンダーという十ほどある山村に着きました。この村は一年の間に三ヵ月間他の村と交通するだけで後の九ヵ月間は雪のために閉じられて交通することが出来ないところです。それから数々の山及び猛獣の棲んでいる山際を通り、あるいは一歩を誤れば数千仞下の谷間の鬼となってしまう所を慧海たちは進んで行きました。それでも、案内者がいましたので道に踏み迷うような気遣いはありませんでした。とはいえ、道かと言えば道というようなところで、どうにか足や手で駈け登ったり駈け降ったりする所があるという峻しい坂路を通って行くのです。
 さらにまた例のごとく恐ろしい山を登って行きます。この辺には灰色の斑(はん)紋(もん)あるナーという鹿がおりまして、多い所には二百疋も三百疋も谷間に群がっていました。だんだん山の中へ進んで行きますと山ヤクもいますし、また雪豹とか山犬(チヤンクウ)というような猛獣も遙かの山に見えておしました。そういう奴が折々出て来るそうで、ある場所には喰われたのか死んだのか動物の骨の散らばっている所もあました。また雪の中に凍え死んだ死骸の骨の散らばっている所もありますが、頭の皿と足の骨は一向見当たりません。これはチベットの仏具に使うために倒れた人があると通る人が皆持って行ってしまうからでした。ただ残っているのは肋(あばら)の骨位です。慧海はそういう物を見る度に無常の観念に打たれ、「自分もまた何処(いずこ)の山の端でこういう風になって果てるか知らん」と思うと、幾(いく)許(ばく)か先に死んだ人の事を想い出して後を弔う心も起りました。
 その山を踰(こ)えてトルボという村に着きました。この一村はチベットの古代の教えなるポン教を信じています。とにかく険しい山路をある時は一日ある時は二日位逗(とう)留(りゆう)して英気を養いつつ進みました。そこで付いて来た案内者を慧海は還(かえ)すことにしました。その間に大分食物を喰いましたから荷物は一貫五百匁(もんめ)ばかり減って八貫匁位になりました。それを今度は慧海が自分で背負って行かねばなりません。そして、いよいよ荷持に対し
「私はこれからドーラギリーの山中にある桃源郷(カンブータン)に行かなければならぬ。だからお前は帰ってくれろ」
と慧海は言いました。荷持は一緒に帰ることと思っておりましたので、ドーラギリーへ行くと聞いてびっくり愕(おおどろ)き
「それはいけません。あんな所へは仏様か菩薩でなければ行けやしません。あなたもそういうお方か知りません。あすこへは昔から一人か二人しか行った者がないという話です。恐ろしい所だそうですから行けば必ず死んでしまいます。そうでなくとも桃源郷の外を守って居る猛獣のために喰われてしまいますからお止(よ)しなさい」
と言って親切に止めてくれました。けれども、慧海は自分の目的はそこにあるのだからとていろいろと言い聞かしますと彼は涙を流しながら立ち去りました。
 慧海は彼の去るのを影の見えなくなるまで見届け、それから八貫匁ばかりの荷物を背負い、桃源郷には進まずに北方の山の間へ進みました。これからは実に言語に尽くし難いほど困難を極めました。突(とつ)兀(こつ)たる岩などは誠に少なかったから割合に安楽でありましたけれども、何分雪の中ばかり一人で進んで行くのですから堪(たま)りません。夜は雪の中へ寝る事もあり、また幸いに岩陰でもありますとそこへ泊り込むことにして、ただ磁石を頼りにかねて聞いてある山の形を見てはだんだん北へ北へと慧海は進んで行きました。すると、聞いた通り少しも違わず荷持と別れてから三日路を経てドーラギリーの北方の雪峰を踏破し、いよいよチベットとネパールの国境たる高き雪山の頂上に到達することが出来ました。

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