ヒマラヤ山村滞在

 さて、慧海が今直(ただ)ちに西北原へ進んだところが到底行けるものでなくなってしまいました。といって後へ帰ることはむろん出来ません。なんとか方法を運(めぐ)らさねばならないと思っているうちに、この間から慧海の所へ度(たび)々(たび)遊びに来る慧幢(ギヤルツァン)博士はただに仏教上の学問あるばかりでなく文学上の学問もありました。そこで、博士と相談の上、慧海は博士にシナ仏教の説明をし博士は私にチベット仏教及び文学を教えるという約束で、博士の住んでいるロー州のツァーランを目指すことになりました。そして慧海はこのツァーラン山村に一年ばかりも住むことになりました。慧海はこの村の夏の景色の美しさを次のように語ります。

 麦畑は四方の白雪たる雪峰の間に青々と快き光を放ち、その間には光沢ある薄桃色の蕎麦の花が今を盛りと咲き競う、彼方此方(かなたこなた)に蝴(こ)蝶(ちよう)の数々が翩々(へんぺん)として花に戯れ空に舞い、雲雀(ひばり)はまた世界の音楽師は我のみぞと言わぬばかりに謡うて居る。その愉快なる声に和して賤(しず)の女らが美しき声で謡う歌は楽器か、雲雀の声は歌か、いずれがいずれとも分ち難きに、なお天然の真妙を現実に顕わしたるカックー、カックーという美しき郭公(ほととぎす)の声はこれぞ宇宙自体真秘幽(ゆう)邃(すい)の消息であります。


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