チベット西北原への廻り道

 慧海はブッダ・バッザラ師から買った白馬に乗って主従五人でカトマンズを離れました。なかなか良い馬で、険しい坂でもうまく進んでくれました。カトマンズを出て山の中を西北に進み一日坂を登ってはまた一日降るというような具合に十日の日数を経て一行はポカラという山間の都会に着きました。ポカラという所はネパール山中では甚だ美しい都会でした。まるで日本の山水明(めい)媚(び)な景色の中に別荘が沢山建ててあるかのようでした。竹の林に花の山、鬱蒼とした新緑の森の上に、魚尾雪峯(マチヤプチヤレ)という切り立った山が聳え立って見えるのです。そこから流れて来る水は山間の土を溶かして来るのか米の洗汁(とぎじる)のような色をしており、都会の周囲を流れて遠く山間に流れ去ります。
 それからポカラを後にして北方に進みましたが馬に乗れないほどの場所があるなかなか嶮(けわ)しい山でした。深山幽谷の間を一行が幾日も進んでいると、お婆さんは何か慧海に秘密(ないしよ)で言いたいような素振(そぶり)を見せておりました。
 それから慧海は気転を利かして、ある日お婆さんを先に立たし、慧海は馬で、二人の下僕は荷を背負って歩いて出発しました。荷持ちは大分慧海より遅れ、慧海はとうとうお婆さんに追い付きまして共に話しつつ行きますとそのお婆さんは
「あの二人の人たちはよほど後(あと)ですか」
と訊きます。
「そうさ二里位遅れて居るかも知れぬ。」
「実はこの間からあなたに内(ない)々(ない)申し上げたいと思って居った事ですが、実は彼の二人の荷持はあなたの身にとっては恐ろしい人です。一人はカムで人を殺しまた強盗をした人です。もう一人はそれほどにもないけれども喧(けん)嘩(か)をして人を殺した事のある人でどうせ二人とも人を殺すのを何とも思いはしません。しかし一人の温順な方はまさかそんな事はありますまいが、一人の方はあなたが西北原へお越しになればきっとあなたを殺してお金や何かを取るに違いありません。どうもあなたのような御親切な尊いお方がああいう悪い人のために殺されるかと思うとお気の毒で堪(たま)りませんからお話し致します」
と言うのです。
「なにそんな事があるものか。あの人たちは大変正直な人だ」
と慧海が言いますと、老婆は本気になりまして
「南無三宝(クンジヨスム)、もしこの事が偽(いつわ)りであるならば私に死を賜(たま)え」
と証拠立てたのです。これはチベット人の間に普通に行われている誓いの仕方でした。その上お婆さんのいうことは偽りであろうとも慧海には思われず、どうもその様子を見るに全く事実のようでした。「はて困った事が出来たとこれにはなんとか方法を廻(めぐ)らさねばならぬ」と考えました。

次へ



旅のご予約はこちらから↑








(C) Tabinchu Terada