チベットへの道

 道はあらかじめわかりましたが何も口実なしにその道を通って行くと決めますと、どうもこいつは怪しい男であるという疑いをブッダ・バッザラ師に起される虞(おそれ)があります。そこでいい口実を慧海は見つけました。というのは、マナサルワ湖は経文の阿耨達池(アノクタツチ)であるといいます。しかもその阿耨達池の傍に在る天然の曼(まん)陀(だ)羅(ら)なるカイラス山は仏教の霊跡です。その霊跡に参詣するという口実を考えたのでした。で、ある時にブッダ・バッザラ師に向い
「私は折角ここまで来たのにむざむざチベットを経てシナに帰るというのは誠に残念なことである。シナの経文の中にチベットにはマパム・ユムツォすなわち阿耨達池があって、その岸に聳(そび)えて居る山(カイラス山)を蔵語でカン・リンボチェといって居るが、私はその山に参詣したいという願心(がんしん)が起ったからどんな難儀をしてもぜひ行ってみたいと思うがどうでしょう。荷持(にもち)を頼むことが出来ますまいか」
と言いますとブッダ・バッザラ師は
「やあそれは結(けつ)構(こう)な事だがお止しなさるがよろしい。行く道は大変困難でもあるし殊に西北原には道などはありはしない。私も是非一遍参詣したいと思って居るけれども第一容易に食物を得られないから行くには充分食物の用意もして行かねばならぬ。それに強盗が沢山居るから多くの同勢を連れて行かないと殺されてしまう。そんな訳で今まで延びて居るですがどうも荷持の一人や二人連れて行くのはつまり殺されに行くようなものですからおよしなさるがよろしい」
と言ってだんだん慧海に説き勧ました。
 そこで慧海は
「そりゃ殺されに行って死んでしまえばそれで役目が済みます。もと生れて来た限りにはいずれとも死んで行くのです。まず仏法のありがたい所に参詣するために殺されるというような事はこりゃ実にめでたい、結構な事であります。私は死ぬことはなんとも思わない。もし死ぬ時が来ればチベットの曠(こう)原(げん)で泥棒に殺されないでもここに豊かに暮して居っても死ぬにきまって居るから決して構わぬ。どうか荷持を世話をして戴きたい」
と言ってだんだん自分の決心を話しますと
「それほどまでの御決心なら仕方がないからまあ一つ見つけましょう」
と言って人をかれこれ捜してくれました。ところがカムという国すなわち泥棒の本場の国の人間ですけれども、大分に正直らしい巡礼を二人頼んでくれたのでした。それに巡礼のお婆さんがある。そのお婆さんは六十五、六ですけれどもなかなか壮健(たつしや)で山をけ歩くことが出来ます。その三人と出掛けることになりましたが、ブッダ・バッザラ師はこの二人の荷持は親切にあなたに仕えるかどうかと見届けるためにツクジェという所まで送らせますからと言って人をお目付役を一人つけてくれました。

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