チベットへの道

 ここで慧海はチベットへ入る道を調べなければなりません。けれどもその事をブッダ・バッザラ師に明かす訳にはいきません。というのはブッダ・バッザラ師は、当然慧海は公道を通ってラサ府に帰りラサ府からシナへ帰るシナ人であると信じているからです。よしんばそれを明かしたところで、そういうことを知りつつ大王に申し上げないときには罪になるでしょうから、大王に報告するに違いありません。
 そこで慧海は、巡礼乞食に一度ならず二度も三度も強請(ねだ)られるままにお金を遣りました。すると大いに心服して、シナのラマはなかなか豪い方だと言って大いに慧海を信用するようになりました。ある時は慧海は巡礼乞食に
「どうだ己(おれ)は名跡へ参詣したいが案内して行ってくれないか」
と頼むと
「ようございます。案内いたしましょう」
と案内してくれました。その道々
「お前はチベット人だというがこのネパールへ来るにどの道を通って来たか」
と尋ねたところがテンリーから参りましたという者がいました。
 そのテンリーという道にもやはり三重、四重の関所があって容易に通り越すことが出来ない道です。ところがその道筋の関所の在る所は間道を通っても容易に通れないと言います。しかし関所の在る所を通って来るときにはどうしても多分の賄(わい)賂(ろ)を使わなければ通してくれないとかねて聞いていた慧海はその巡礼に向い
「お前は乞食の身分で関所のあるテンリーを通って来たというのは嘘だ。どこか間道から来たのだろう。そんな嘘を吐(つ)くに及ばぬじゃないか」
と詰(なじ)りました。すると
「あなたはよく御承知ですな。実はこういう間道があってそこを通って来ました。その道はあまり人の通らない所です」
というようないろいろの話をしました。そういう話を聞いて居る間に道筋の幾つもあることが分って来ました。また一人の乞食に聞いた事を材料にしてまた外の乞食に向い
「お前こういう間道を通ったことがあるか」
と尋ねますと
「その道は通らないけれどもニャアナムの方にはこういう間道があります」
というようにだんだん調べて見ますとなかなか道が沢山あることが分かってきました。そうこう調べていきますと、よい道を発見することが出来ました。しかしこの道は大変大廻りをしなければならない道でした。普通ネパールの首府から東北に道を取って行くのが当り前ですがそうでなく西北に進みネパールの国境のロー州に出て、ロー州からチャンタンすなわちチベットの西北原に出で、なお西北に進んでマナサルワ湖の方に廻り、一周してチベットの首府に行く道を取れば関所を通らずにうまく入れるという道順が分りました。

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