外国行とかあるいは困難な事業に当る場合には誰しも決心のつきがたいものです。普通からいいますと、何か事を起そうとするにはまず金が資本であると、こう決めて外国行にもまず金(かね)を調(ととの)えてから行こうとするでしょう。けれども、慧海は仏教僧侶でしたので、戒法を持つことが資本である、旅行費である、通行券であると、考えました。そして、
「釈尊の教えられた最も謙(けん)遜(そん)の行(ぎよう)すなわち頭陀乞食(ずだこつじき)を行うて行かんには何ぞ旅行費なきを憂(うれ)えんや」
というような訳で、無銭で大旅行を決心したのです。慧海は、周囲が「彼は死に行くのだ、馬鹿だ、突飛だ、気狂いだ」といって嘲笑(せせらわら)われながらも旅立ちました。もちろん、そのころにはまだ飛行機などありませんから、神戸の波止場から船に乗っての出立でした。




 門(も)司(じ)を過ぎ玄界灘より東シナ海を経てホンコンに着くまで、慧海は船長や船員らと親しくなってときどき法話をしました。

「観(かん)自(じ)在(ざい)菩(ぼ)薩(さつ) 行深般若波羅蜜多時(ぎようじんはんにやはらみたじ) 照見五蘊皆空(しようけんごおんかいくう)
 度一切苦厄(どいつさいくやく) 舎(しや)利(り)子(し) 色不異空(しきふいくう) 空不異色(くうふいしき)
 色(しき)即(そく)是(ぜ)空(くう) 空(くう)即(そく)是(ぜ)色(しき) 受想行識亦復如是(じゆそうぎようしきやくぶによぜ)
 ・・・
 掲諦(ぎやてい) 掲諦(ぎやてい)掲諦(ぎやてい) 波羅掲諦(はらぎやてい)掲諦(ぎやてい) 波羅僧掲諦(はらそうぎやてい)掲諦(ぎやてい) 菩提薩婆訶(ぼじそわか)」

 また、香港では、日本に十八年間もいたタムソンという名のイギリス人が乗船しました。熱心なキリスト教徒のタムソンと慧海との間では、船中の評判となるほどの熱い議論が始まり、慧海はその議論を楽しみました。

 船旅を終えて慧海がカルカッタに着いて摩訶菩提会(マハーボーデソサイチー)に滞在していたときのこと、その会の幹事でチャンドラ・ボースという人が慧海に
「あなたは何の目的でこちらにお越しになったか」
と尋ねました。
「私はチベットに行くのが目的でチベット語を研究するために参りました」
と慧海は答えました。すると、
「それには大変好い所がある。チベットで修学した人で今チベット語と英語の大辞典を著しつつあるサラット・チャンドラ・ダースという方がダージリンの別荘に居る。そこへ行けばあなたの便宜を得らるるだろう」
といいます。
「それはよい都(つ)合(ごう)であるからどうか紹介状を下さらぬか」
と頼んで慧海は紹介状を貰いました。そして慧海は、カルカッタから汽車に乗って北に向い、広大なる恒河を汽船で横ぎったり、また汽車に乗って椰(や)子(し)の林や青田の間を北に進みました。その青田には日本では見ることの出来ない大きな螢が沢山飛んでその光が青田の水に映っておりました。
 翌日の朝シリグリーというステーションで小さな山汽車に乗り替えました。その汽車は北に向ってヒマラヤ山にだんだん上りました。鬱蒼と茂るタライジャングルを過ぎると線路は大蛇がうねるように延びておりました。その頃には今のような立派なディーゼル機関車ではありません。汽車は、幾千の獅子が山谷を震わせるようにしてようやく坂を登っていきました。

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(C) Tabinchu Terada