日本出立

 慧海は、まずインドを知る必要があると考えました。そこで、インドのセイロン(現在のスリランカ)へ留学して帰って来られた釈興然(しやくこうねん)というお坊さんのところへ行って修(しゆう)学(がく)しておりました。けれど、釈興然師は慧海に言いました。
「小乗教は即ち純正の仏教である。日本では小乗といって居るけれどもその実、小乗という名は大乗教者がつけた名で小乗そのものには決してそういう名はない。純粋の仏教はこの教えに限る。それ故に本当の僧侶は黄色の袈(け)裟(さ)を着けなければならぬ。まずその心を正しゅうせんとする者はその容(かたち)を正しゅうせよであるから、僧侶たる者はまず黄色三衣(こうしよくさんい)を着けるが第一着である。お前も黄色の袈裟を着けるがよい。」
 すると、慧海は
「私は小乗の教えは学びますけれどもその主義に従いその教えを守ることが出来ませぬ」
と受け入れませんでした。さらに釈興然師が、
「そんな大乗教などを信じてチベットへ行くなんという雲を掴(つか)むような話よりかここに一つ確実な事がある。それはまずセイロンに行って真実の仏教を学ぶことである。学べば仏教の本旨が分るから大乗教云々など言うては居られはしない。私の弟子として行きさえすれば船賃も出るしまた修学の入費も出来る訳だからそういう風にして行くが宜(よ)かろう。お前たちがどの位骨を折っても外国で学ぶ金が完全に出来るものじゃない」
と勧めました。それでも慧海は、
「たといどれだけお金を戴(いただ)きどういう結(けつ)構(こう)な目に遇いましたところが、私が日本国家に必要なりと信ずる大乗教の主義を棄ててあなたの信ずる小乗教に従うことは出来ません。今日まで教えを受けたのは有難うございますけれどもそれはただ語学上の教えを受けただけでその主義に至っては始めから教えを受けたのでないからこれは全くお断りを致します」
と無下に答えたのでした。釈興然師は余程の不快を感じたようで、
「それでは仕様がないから出て行きなさい」
と言い付けました。こうして、慧海は早速追い払われてしまいました。

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