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後書き 2002年に訪れたときには中心部は平和に見えたイエメンでしたが2015年から再び内戦に突入してしまいました。2002年当時は米軍がアルカイダ掃討作戦を展開していましたが、2015年の内戦の切っ掛けはアルカイダではなく、クーデターでした。クーデターを起こしたのは、長年独裁政権を築いていたサーレハ前大統領と同盟関係にあったフーシ派と呼ばれる勢力だそうです。フーシ派はイエメン北部を拠点にしていたらしいので天然の要塞の集落シハラがまさに北部に当たります。 フーシ派はシーア派に属するそうで、シーア派といえばイラン。ペルシャ人国家のイランです。シーア派と対立しているのはスンニ派のアラブ民族です。その盟主といえばイエメンの隣国サウジアラビア。イエメンでもイラン対サウジアラビアの構図が窺い知れます。その両者の間に、アルカイダ(アラビア半島のアルカイダ傘下のアンサール・アル・シャリーア)が勢力を広げ三つ巴の状態にあると言われています。サウジアラビア等が支援するのは、「アラブの春」の影響を受けたサーレハ前大統領退陣後に選挙によって誕生したハーディー暫定大統領の勢力ですが、石油の採れないアラブで最も貧しい国イエメンには残念ながら、欧米からの支援があまり行われていないように思われます。 サーレハ前大統領は2017年12月に殺害され、サナア中心部にあった彼の自宅も爆破されてしまったそうです。わたしは前大統領の自宅がサナアのどこにあるか知りませんでしたが、あの入り組んだ路地の散歩を楽しんだサナア旧市街もどうやらかなりの被害を受けている模様です。また、静かな夜に終わりを告げるアザーンが流れ、いびつなトマトが運び込まれて、ラクダが石臼を轢き出す「幸福のアラビア」イエメンに戻ることを祈ります。 |
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(C) Tabinchu Terada |