(手前のクルマが走っているところは、
雨のときは水が流れて川となるワジ。 )


← アラブで最も貧しい国イエメンの首都サナアの旧市街。イエメンは、オイルマネーで潤うアラビア半島の中で、唯一石油の恩恵をあまり蒙っていない。ここサナアは、砂漠の標高2000mの高地にある。そして、城壁に囲まれたこの旧市街は、人々が今も暮らす街全体が世界遺産に登録されている。建物は、土色の日干し煉瓦を積み上げられて建てられていて、黄、赤、緑、青色の窓ガラスを白い漆喰が縁取っている。夜、灯りの乏しい旧市街を歩くと、これらの色のガラスを通った光が、建物の四角い真っ黒な輪郭の中、その光をうっすらと反射する漆喰とともに浮かび上がる。
 また、イエメンの文化は1000年前と変わらないという。


→ 街では、迷路のような狭い路地を挟んで背の高い建物がひしめき合う。石畳の路地を歩くと、砂漠の強烈な日射しと土色の建物がつくり出す影とが目まぐるしく入れ替わり、目の明暗順応が追いつかない。今でも真っ黒なチャドルに身を包み黒いベールで顔を覆った女たちや、ジャンビーヤ(三日月刀)を腰に差した男たちと擦れ違っていると、遠い異国に来たというだけでなく、サブリミナル効果のように、時間まで遡ったような錯覚陥ってしまう…


← サナアから160km北にある、勇猛な山岳部族の集落シハラ(lonely planetではShihara、地球の歩き方ではシャハラ)。シハラは下の写真(↓)の砂漠の岩山のてっぺんにある。この集落には溜め池があり、山羊を育てるくらいの草も生えている。シハラは、1980年代半ばまで外部の人間が入ることを拒んでいたという。


 なぜ、こんな住みにくそうな場所に彼らは集落を築いたのだろう?もちろん、それは外敵から身を守るためだ。シハラは天然の要塞なのだ。山岳部族の彼らは、ジャンビーヤだけでなく、ライフルを、まるでショルダーバックでも肩に掛けているかのように、ごくフツーに持ち歩いている。彼らの歴史の激しさを物語る。


← シハラの2つの峰をつなぐ17世紀に造られた石橋。古びた石橋の下にあるのは、川ではなく、“トルコ人の墓”と呼ばれる深い谷底。かつてオスマントルコがアラビア半島を制圧したときにも、このシハラは独立を保っていたのだという。
 しかし、なぜこんな砂漠の不毛なところが歴史的に強国の征服対象になったのか?それは、アラビア半島がアジアとヨーロッパを結ぶ交易ルート上にあったからだろう。古くはシバの女王の時代紀元前10世紀ごろから乳香(オリバナム)や没薬(ミルラ)など薫香の交易で栄えた。これらの薫香が採れる木は、アラビア半島南沿岸部と今はソマリアがあるアフリカの一部でしか栽培できなかったため、その薫香を儀式で使う一大消費地であったエジプトやギリシア、ローマでは乳香と金とが同じ価値であったという。そのころ、イエメンがある南アラビアは“幸福のアラビア(Arabia Felix)”と呼ばれていた。紀元後6世紀ごろのキリスト教の拡大とともにこうした薫香の価値は下がったものの、スパイスなどの交易上、陸路、海路ともイエメンは地理的に重要であったに違いない。


→ サナアでは、スーク(市場)で、乳香や没薬が麻袋いっぱいに詰められて売られている。ほとんど香りがしない茶色い半透明の樹脂の塊を、「これは何だ?」と訊ねたら、店のオヤジがその樹脂をライターの火で炙ってくれて、少し刺激のある香りを放った。あれは没薬だったのだろう。
 いまだに、駱駝が石臼を回して小麦を磨りつぶした小麦粉でパンが焼かれ、空港にエスカレーターすらないアラブで最も貧しい国イエメンだが、1000年も変わらず文化を保ち続けているイエメンの人々にとって、乳香や没薬が大量にスークに並ぶこの国は、今でも、“幸福のアラビア”なのだろう。

ロンリープラネット
イエメン(英語版)

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