解説

 あらためて考えてみますと、輪廻を信じるとともに涅槃の究極をそのまま輪廻の究極と見る龍樹菩薩の空観を追究する大乗仏教は、慧海が「私は世界の人民の精神的苦痛を救うために、真実仏教の発揚を希望してこの国へ来たのである」というのに相応しい教えにも思えてきます。けれども、大乗仏教はバーミヤンの石窟仏教遺跡に見られるようにアフガニスタンにまで広がりましたが中央アジアでは消滅し、明治時代ですら「大乗仏教の行われて居るシナ、朝鮮およびネパールのごときは全く見るに足らない。」「世界における大(だい)乗(じよう)仏教国は、今日においては我が日本帝国とチベット国のみであるというてもよい位であります。もちろん外にも大乗仏教国はあるけれども萎(い)靡(び)振わずしてほとんどその真面目(しんめんもく)を失うて居ります。」と慧海は言っています。一方、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所によれば、文化大革命時に六千を越える僧院と膨大な数の宗教芸術品が破壊され、一九九六年から一九八八年の間には四九二名の僧尼が逮捕され九,九七七名が僧籍を剥奪されたそうです。
 慧海は釈(しや)迦(か)牟(む)尼(に)世(せ)尊(そん)を信仰することで守護を得られたと感じていたようです。お釈迦さまや他の仏や菩薩を信仰することでそのような守護を受けられるのかどうか私には分かりませんが、涅槃の究極をそのまま輪廻の究極と見て、できれば今生で覚りに至れるものなら至りたいと思っております。もし今生で覚りに至れれば、極楽浄土にはもはや行く必要がなくなるのかも知れません。やはり覚りには至れないのであれば輪廻を信じて、苦しみのある世界へ再び生まれ変わってみたいと思うのかも知れません。今生きている生(せい)を輪廻の究極つまり涅槃の究極とみて、覚りを人生の目標と据えて、その目標に達することが出来なければ次の生へと望みを託す、このような有り難い大乗仏教の教えが日本から、世界から消えてしまわないことを願います。みなさんも慧海の志を継いだ方々の経文の現代語訳に目を通されて仏や菩薩たちの言葉に触れてみては如何でしょう。

終わり



旅のご予約はこちらから↑








(C) Tabinchu Terada